「内科だった画廊であった」(赤瀬川原平)
新橋駅前のビルに内科画廊はあった。1963年から1965年のたった2年間しかなかった画廊。そのたったの2年間に、オノヨーコのハプニングが行われ、三木富雄の「耳」の初個展、篠原有司男の何回もの個展、そしてハイレッド・センターの活動拠点として、といったとんでもない芸術の実験が行われていた。
宮田有香さんは、内科画廊主宮田国男のお嬢さんです。有香さんは小さい頃にお父さんを亡くされています。家の中にある奇妙な作品や資料を見て、お父さんが内科画廊というものをやっていたことを知ります。そして内科画廊について調べている大学生の有香さんと私は京都で巡り会いました。
有香さんから知る内科画廊のことはとても面白く、その実験の精神と、とにかく面白いことをやろうという好奇心は、CAPのコンセプトと共通するものだと思います。
当日は宮田有香さんをCAPHOUSEにお招きし、色々と内科画廊についてお話を伺います。アートの面白さを勉強しましょう。…藤本由紀夫