C.A.P.10th-証言:マスダマキコ

造形作家・ドングリ銀行神戸代表

1960年生まれ。京都市立芸術大学彫刻専攻卒業。
00年「美術の中のかたち・手で見る造形展」兵庫県近代美術館、他個展・グループ展多数。CAP HOUSEを拠点に子ども・遊び・アートをテーマにしたワークショップを展開中。01年「つくろう!クモの巣テント」愛知児童総合センター、03年「森をよーく見るためのドキドキ基地計画」Nature Art Camp03・神戸自然の家など多数。
95年から子どもと街に森をつくるNPO「ドングリ銀行神戸」の活動も行っている。CAPでは、こども土曜クラブのお世話係

 1994年春。私と松尾直樹は、杉山知子さん(以下TOMOさん)の車に乗って、新しいアトリエのドアをもらいにTOMOさんのお姉さん宅に向かっていた。その車中。「今ね。神戸市の文化顧問(名前はうろ覚え)になっててさ。会議にも出てるんだけど・・・今度さあ。アートをもっと街の中に、もっとバアッと出していけるようなしくみをアーティスト自身がが考えないとダメじゃないかっていうんで、うちのアトリエに集まるんだけどマスたちも来ない?」のようなこ
とを言われた。これが私にとってのCAPの始まりだった。TOMOさんの話には「バアッと」みたいな擬態語が多い。でもそれが妙に思いつきだけではない説得力を持つ。よくわからないけどなんかおもしろ
そうなことになりそうだ。

 当時私は5年勤めていた大学の常勤助手を退職して、アトリエを借りて新しい生活を始めようとしていたところだったので、時間にも余裕があり、この話はとてもタイムリーだった。

 そして第1回の会議。神戸の旧居留地にあるTOMOさんのアトリエ。明るい日差しがこぼれていた。集まったのは、石原さん、松井さん、砥綿さん、松本さん、椿さん、田辺さんそしてTOMOさん、江見さん、松尾そして私だったと思う。個人的にはよく知っているメンバーだったが、こんなかたちで集まるのはおそらく初めてだった。ほとんどが大学の先輩であり、私はその中では最年少の部類だった。茶話会的に始まった会議だったが、意見ははじめから熱かった。内容はよく覚えていないが、皆それぞれに思いがあったけど、ぶつける場がなかったという風な勢いだった。時間を忘れて語っていたことだけは覚えている。
2回,3回目から藤本さん、原さんらも加わりさらあつい会議が続く。