C.A.P.10th-証言:澤木久美子

1995年3月。震災後に避難していた実家へ懐かしい声の電話があった。それが杉山代表からのC.A.P.への初めの誘いだった。
震災を神戸市東灘区の自宅で経験した時、私はお腹に8ヶ月の子供が居た。10日後、やっと電気が回復したので家中掃除機を掛けて何とか片付け、夫は夫の実家へ、私は私の実家へ避難した。神戸の生活が少し懐かしくなった頃、その電話が掛かって来た。「旧居留地ミュージアム構想」の概略を聞いた後、「建築をやっている立場から参加してもらえることがあるのではないかしら」との言葉に、「はいはい、喜んで」と答えた、と思う。
普段は建築の設計の仕事をしていることもあり、旧居留地に点在していた趣のある建造物への興味はあったし、その独特な空気が好きだった。当たり前のように建っていたはずの建物が震災で姿を消すとなると、あの街はどんな風に変わってしまうのだろう、という不安もあった。
出産後神戸に戻り、まだ歩く事もできない長男をベビーカーに乗せてミーティングに参加した。当時のCAPのメンバーはほぼ全員がアーティストであり、そうではない私の居場所は別の所にあるような気がして少々居心地が悪かった。その中で私なりにできることを探していたような気がする。
ミーティングの時は一癖二癖ありそうな顔ぶれの中でチョコンと座っているだけの時もあった。誰かにとって「おもしろそう!」と思える事が、別の誰かにとっては「そうかぁ?」と何の興味も持てないような反応もあるのは当然だけれど、それ以上に「そんなことはしたくないなぁ」という反論に近いものもあり、その反応が結構シビアに肌で感じて秘かにドキドキすることもあった。それだけみんな“真剣”な気持ちがあったのだろうと思う。それでも、おもしろいコト何かしようよ、発信していこうよ、というみんなの気持ちがどんどん大きくなって行った。「こんなことできるんだろうか?」「こんなことするにはどうしたらいいんだろうか?」を考える事は楽しかったし、一つ目標が決まるとそのために人を集めたり、準備する事に皆が夢中になっていった。