C.A.P.10th-証言:潤井一壮

インスタレーター
1977年生まれ兵庫県尼崎市出身
1999年京都造形芸術大学デザイン科情報デザインコース卒業

1)CAPの活動に参加した当時のCAPの様子

1999年の11月、デザインの仕事を辞めて暇してたので、友達の永田君に「遊ぼーよ」と電話したら「椿さんていうアーティストの手伝いを一緒にしない?」という誘いがきたのでやってみることに。その作業場がたまたまCAP HOUSEで
した。

作業の内容はハノーバー万博日本館のための壁紙をデザインして大型プリンターで出力するというもので、初めてCAPHOUSEに来た日が初めて椿さんにあった日でもあり、プリンターを運び込みながらCAPHOUSEの螺旋階段で椿さんに「よろしこ」といわれたことが印象に残っています。というわけで僕とC.A.P.の関わりはCAP HOUSEからはじまりました。しかも、椿さんの手伝いでは丸2ヶ月の間作業部屋(椿部屋と命名)にカンヅメ、外の状況を知ることもかなわなかったので、最初のうちは只の古い雑居ビルで、他の人もみんな仕事してるのだと思ってました。

絶海の孤島のような椿部屋に、唯一外の情報をもたらす定期便的存在が当時管理人業務を行っていたブッチ(岩渕君)でした。「今度のモー娘。いいで!聞く?」といいながら作業用のパソコンにムービーのデータを掘り込み、大音量かつリ
ピート再生をかけて「じゃ」と去っていくブッチ。停止する元気も無いのでずっと聞いてました。映像もいまだに頭の中で流せます。ブッチからの情報でCAPHOUSEはC.A.P.という団体が運営してるということ、C.A.P.がアーティストとその周辺の集まりであることをしりましたが、基本的に週末に何やら人がぞろぞろ集まってきてワインとか飲んでるの(実はイブニングアートパーティ。あ、アクトコウベの披露宴?)しか見てなかったので、「ナンダロなこの人たちは?」という感じでした。ブッチからの情報は今思うとかなり眉唾な情報が多く、やたら恐い人の集まりだと思っていたので、廊下であって挨拶するとか、パーティーの終わり頃(あるいは終わってから)余った食料をこそっともらいにいったりというくらいの関わりしか無かったとおもいます。(何にせよ椿部屋時代の記憶は曖昧)

2000年の3月くらいハノーバーの仕事も上がりようやくまともな意識で周りが見れる様に。CAP HOUSEのプロジェクト自体もちょうど実際に動き始めてきたところで、ゴゴゴゴゴォと映画の効果音が聞こえてくるような「何かが確実に始まってるな」というかんじがそこら中にありました。別に他にすることも無いし、面白そうだし、永田君やブッチといるのも楽しいのでしばらく乗っかってみようかなと。実際にはそんなにしっかり意識はしてなかったけど。ちょうどタイミングよく『星☆直樹プロジェクト』(C.A.P.メンバーのアーティスト金山直樹がちやほやされたいといったのを機にみんなでアイドルに仕立てようとした企画)が立ち上がり皆曲つくったりして楽しそうだったので、「おれプロモーションビデオ撮るわ」といって参加。うちらはうちらなりにお笑い、あるいはおふざけ部門担当でC.A.P.に関わっていく。おこられ役も絶対必要だと思うしぶっちやその前のグルちゃん(星野太一郎)なんかはその辺を自覚してやってると思う。それにしても今でもよく巻き込まれるぶっちの「ウルちゃんおもろいことしよーやー」のはじまりはこの一件だったんだなぁ。

このあとブッチ企画、居留地映画館とC.A.P.あるいはCAP HOUSEとの関わりは続いていくことになるけれども、大学を出て自分一人で作品をつくってギャラリーにお金払って限られた人に作品を見てもらうことに飽き飽きしてた時期に「おもろいことしよーやー」という人が一杯いて、その場その場では何も生まれてないんだけど、でも何か生まれそうな学際前夜のような空気と、22歳の自分がそこにいるという実感がたまらなかった。とにかく魅力的なものが蠢いて見え隠れしていました。

2)CAPに参加した(メンバーになった)動機

今でもこれは好きになれないけどC.A.P.のミーティングはほんとにひどい。話が横道にそれる。8割横道。話を聞かない人が多い。話できない人も多い。すぐ感情でものを言う。会員になる前からミーティングには出てたけど「絶対にこの集まりの中にどっぷり浸かっちゃいけない。常に一歩引いて外からの視点で意見を言わないと」と真剣に思ってました。実質的にはほぼ毎日トモさんとかと顔つきあわしてるし会員みたいなもんでしたが、「会員にはなってないぞ」というのが僕の中で最後の砦でした。

会員になったのは神戸市の復興記念事業の一環でC.A.P.が『居留地映画館』を企画し、その中の一部門の制作を担当することになって「さすがに会員じゃないのはまずいしやりにくいな」という状況になったから。これがなかったらいまだにC.A.P.の会員じゃないかもしれません。基本的に肩書きは気にしないのでいたいところにはいるし、いたくないところにはいたくない。動機と言えるのは「いてもいいな」と思ったからかなぁ。