9月8日
こんばんは。タニグチです。お久しぶり、、、です。不肖タニグチ、新型コロナウイルス感染症に感染し、床に伏せっておりました…。C.A.P.にいるか、音楽スタジオにいるか、家にいるか。3択しかない生活のはずなのに本当にかかりました。そんでもって思っていたよりは軽かったもののちゃんとしんどかったです(小児喘息だったので、もう少し重いと覚悟してました)。みなさまも本当にお身体には気をつけてください…。水やおかゆのストックは大切…。
柴田精一個展 「手の意思」 ある大学生の考察
さて。長らく別の話題で埋まっていた「今日のC.A.P.」だが、Y3スタジオでのアーティスト個展について久しぶりに書いてみようと思う。
残念ながらわたしが伏せっている間に柴田さんの個展は終わってしまった。会期中Y3に行った際は必ず4階に上がって作品を見ていたのに、ご本人にお会いしてお話を聞くことはできなかった。だからここからの文章は完全にわたしという、いち鑑賞者の視点で書かれている。あしからず。
柴田さんの作品を見てまず浮かんだのは感想ではなく疑問だ。それは「いったいどれだけの時間をかけて作品を作っているのか」「切った後にできるものをある程度予測したうえで作品を作るのか」という具体的なものばかりだったが、見ているうちに「どこを作品の終わりにしているのだろう」という抽象的な問へ変化していった。柴田さんの作品は、紙を折ったのちに切って・もとの状態に広げたもの(対称な図形が散見されるのでおそらくそうだと思うのだが、折り目があまり感じられないからすごい)を、何層か組み合わせて作られている。
この作品のすごいと思うところは、「色も線もすべてが2次元でしかない」ところだ。つまり、絵画や立体作品の中に見られるような「奥行き」の演出から、これらの紙たちは解放されている、という意味である。色の変化する様子を収めたり、画面内を線が自由に動けたりということはない。モーションと結びつくすべてが実現しないわけだ。紙を選んだらもうその色しか使えないし、線に至ってはひとつのユニットがどう展開されて図形になるのかもわかりにくい。周りの景色に合わせて何かしようと思っても融通が利かないのだ。できることといえば、どれだけの枚数、どの角度で重ねて作品にするか考えることである。そこで始めの疑問に戻るのだ―いったいどこまでやったら作品の終わりになるのか。逆にできることが限られているからこそ、「作品」へのラインもハッキリしているのだろうか。
わたしは作品たちを眺めながら、インスタグラムの投稿を作るべく上の写真を撮った。どこまでも続いていきそう、というような文面を添えての投稿だったと思う。そのときわたしは小さいころ飽きもせず眺めていた万華鏡を思い出していた。万華鏡の筒の中でパタパタと切り替わる図形を見ているときと同じ気持ち。ずっと続いていきそうな予感。ちょっと傾けただけでまったく違う図形がみられる不思議と高揚感。思い出す。
前述したような制限がかけられているのに、そのどれもが違う印象を持ってこちらに語りかけてくる。ハッピーな感情にみえるものも、さびしそうなものもある。
丁寧な「手」による仕事を見せてもらっているような気がした。
近づいてくる神戸文化祭!
今日事務所にてくてくやってくると、たかはしさんが何やら絵具と奮闘してらした(インスタグラムのストーリー参照)。聞けば11月3日から13日まで開催される神戸文化祭の地図を作っているらしい。もう9月半ばが近いという事実に驚き、一度取材させてもらった会議から4カ月経った事実にも驚いた。
ここで神戸文化祭がどういうものかおさらいしてみよう。神戸文化祭とはある一定の期間、神戸のいたるところで「フラッガー」と呼ばれる人たちが自身の活動を公開したり、企画を開催したりするイベントである。開催は今年で10回目。簡単に言えば、「普段おもしろいことをしている人たちが、一斉に活動する期間」そして「おもしろい人たちに自由に会いに行ける期間」だと考えていい。わたしも神戸文化祭の会議の際に「タニグチも参加してみたらいいんよ」と築山さんに言ってもらったのだが、いかんせん忙しすぎて断念した。まあ学生が「10日間くらいおもしろいことするかあ」と気軽に参加できるくらいのイベントだ。参加する人間を「フラッガー」と呼び、その期間中は旗をあげておくことが決まりになっている。きっと期間中は町並みから飛び出ている旗をみるたびニヤついてしまうだろう。
C.A.P.は―というよりシモダさんとたかはしさんは「神戸文化祭の事務局」として参加する。あくまでも主催はフラッガーの方々で、できる人ができることをやるカタマリが神戸文化祭を形成しているのだ。広報活動も文化祭に参加する人みんなで必要なぶんだけ行う。とっても民主的である。
「柴やんに頼んだ地図がちょっと足りなくて地図描き足そうとしてて~」
地図というのはフラッガーの活動している位置を示す地図のことで、神戸文化祭のフライヤーに掲載される予定だ。
たかはしさんはいそいそと水彩絵の具を取り出し、パレットに広げだした。いったいたかはしさんの業務はどれだけ手広いのか…と思わされるばかりである。元は柴山さんの大学の同級生さんが描いていた地図を柴山さんが描き足し、さらにたかはしさんが描き足している…そうだ。誰のものなのかもうわからないレベルである。
筆先でちょんちょんと描いた丸を一単位として、区画分けされた町並みを塗っていく。
「昔学校とかで描いてたときより楽しいかも」とたかはしさんが呟いた。
それを見ていて、おとなになってから楽しいと思えることってあるのかもしれないと思った。ちょっと趣の種類が違うかもしれないが、好き嫌いを大人になってから克服する感覚と似ているような。期間を置くと自分が変わったことに気づくあの嬉しさという寂しさにわたしもそろそろ出会うのだろうか。
近づく神戸文化祭。今年はどんなフラッガーがいるのだろう?
神戸大学オープンキャンパスにて。
突然の見出しに驚いた方もいるかもしれない。何を隠そう、わたくしタニグチは神戸大学国際人間科学部の学生である。コロナで伏せる直前に21歳になったが、まだまだ学生の華…だ。というか華でありたい…!
そんなわたしだが、学科長の命を受け神戸大学オープンキャンパスの学生体験談コーナーに体験者として登壇することとなった。その際リクエストとして「C.A.P.の話をしてほしい」という要望があり、大学でC.A.P.の活動について話をしたのだ(シモダさんには許可を取りました笑)。午前と午後合わせて2回、計約500名の高校生相手に喋るのはいささか緊張したが、終盤になると逆に腹を括れて楽しかった。C.A.P.に出会った経緯やC.A.P.で経験させてもらったこと。去年の六甲ミーツ・アートを中心に、焚き火DE夜市も振り返った。現在の自分のお仕事についても少し話したが、終わった後かなりの数の教員のみなさんにC.A.P.のことを聞かれた。質問しに来るのはオープンキャンパスに来た高校生じゃないんかいというツッコミは心の中にとどめたが、純粋にC.A.P.の活動が先生方が考えていたより手広かったらしく、先生方にとって新鮮な話だったようだ。なんだかむず痒いですね…。これからも神戸大学とC.A.P.のご縁が続くといいなあと思う限りです。