今日のC.A.P. その13 陽気で愉快な、ときにノスタルジックな大人たち

10月25日

タニグチです。ここ5日間でC.A.P.に来た日は3日。かつてないハイペース。自分でも驚いています。うち2日は神戸文化祭の前夜祭に参加させていただきました…!C.A.P.でさまざまな方々とお喋りしたり、新長田で作品を拝見したり…今日は主にこの2日間についてレポートしていこうかな…、と思っております。どうぞお付き合いのほどよろしう…

STUDIO Y3で前夜祭!中央エリア編!

21日はC.A.P.にて中央エリアの前夜祭が開催された…!
時間は午後6時すぎ。わたしはポチポチと前回分の日記を書いており(今日のC.A.P. その12 秋は煎り茶と茄子の季節です – KOBE STUDIO Y3 (cap-kobe.com))もうすぐ投稿…!の段階をさまよっていた。次第に人が増えてきたのを背中で感じる。前夜祭という名のパーティーが始まるようだ。ずっとローテーブルの方で作業をしていたので、振り向いてやっと賑やかになった理由がわかった。Mark歓迎会が思い出されるが、テーブルの上にはお菓子から料理までたくさんの物がいろいろと並んでいたのだ。今回も持ち寄り式らしい。塩とゆかり、二色のおむすびに目が吸い寄せられる。たかはしさんが「おむすび握ってくる!!」って駆けてったのはそういうことだったのか…。愉快な事務所だな…。

わたしが座っていたテーブルの前方、部屋の角にはスクリーンが立てられている。こちらまでやってきたシモダさんはパソコンを開いた。「タニグチさん、どお~もうすぐできそう~?」「あとちょっとですほんとに」そんなやり取りをしながら、シモダさんはパソコンをプロジェクターに接続した。むふ、と言いながら再生した映像はベーシスト、ジャコ・パストリアスの動画from YouTube。…あれ、神戸文化祭の動画じゃない…んだ…と思いつつ、なんかそれはそれでいいか~いいな、という気持ちになる。藤塚さんなどなどの音楽好きの面々が興味深そうにみていた。

そうしているうちにC.A.P.にさらに人が集まってくる。そして料理たちも集まってくる。もちろんお酒も。
ビール。赤ワイン、白ワインにウイスキー。割るための炭酸水。C.A.P.の大人たちにとって完璧な布陣。

何も持ち寄るものが無かったものの、ありがたいことにパーティーに参加させていただいた(次から「会」とか「祭」が催しに付くときは絶対お菓子か何か持ってこようと心に誓った)。
喋るのが初めての人たちもいたが、そこは料理やお酒も相まってとても楽しい場となった。芸術系の就職についてとアロマについてなぜか詳しくなれた気がする。ありがとうございます…!
珍しく同僚のたなかくんも同じ場にいた。日記にはおそらく初登場のたなかくん。わたしと同じ神戸大学国際人間科学部の3回生であるが、学科はわたしと異なり心理学系の勉強をしているらしい。われわれ、壊滅的に予定が合わないのでC.A.P.に両人が揃うことはほぼない。それがこの日奇跡的に揃っていた。
マキコムズのおふたりがジェノベーゼとカプレーゼを携えやってきた。場から「きゃーおいしそう」と声があがる。カワキタさんがお皿を置きつつ、「今日花火最後もう始まってるよ~」と言った。21日は神戸みなと祭りの最終日だったのだ。みんな慌てて3階のワークスペースに押し掛ける。

「あ!花火はなび!あがってるわ!!」

遠くにチリチリと、でもたしかに終わり掛けの花火があがっていた。わたしはこの夏(ではないですね、)初めての生でみる花火だったのだが、C.A.P.から花火がみえることに驚いた。パーティーしながら花火みられるって、すごいな。

神戸文化祭の始まりを振り返る動画をみんなで鑑賞しつつお料理に舌鼓を打ち、談笑する。豪華な前夜祭となった。

個人的MVPは目玉焼き味のポテチです。味がハイクオリティで存在がおもしろかったです。

大塚さん、かごを編む編む。

事務所の壁にしばらく大塚さんの編んだカゴ作品が展示されていた。展示というと堅苦しい…かもしれない、C.A.P.3階の壁は木成りの色をしているし、大きな窓からは日光もよく入る。だから木のツタや枝で編まれたカゴたちが壁に掛けられていても、もともとそこに自然にあったかのような気がしてしまうのだ。大塚さん、そんな籠たちを回収するために今日はいらしたらしい。あまりまじまじと見れていなかったので、ひとつひとつ見てみる。ご本人を横目にってちょっと緊張するけどそれも乙だ。

「これは、アケビで編んだやつ」

紙でできた船が入った籠を大塚さんが指さす。

アケビの籠

「まあまあ編みやすいかな」

そう言われて初めて籠によって使われている植物が違うことに気づいた。いやモノによってツタが若干違うことはわかっていたのだが、それは同じ品種でも違う部位のツタを使っているからかな~と思っていたのだ。もとの植物から違うそうだ。なるほど…。そもそもアケビって食べるだけじゃないんですね…!

「フジは硬いからめちゃくちゃ編みにくい」
たしかにフジで編んだ籠はツタがとても太くて、見るからに成型しにくそうだった。
柳は柔らかくて使いやすいよ…とこちらも見せてもらう。

フジの籠

「あれなんだよ、こう、ツタから飛び出てる部分をきれいにするのが大変なの。カッターとかで切るしかないんだけど、あぶないんだよね」

ツタから出ている突起やボコボコしている部分をきれいにしてから編むそうで、ただでさえ手間や時間がかかっていそう…と思っていた作品たちにさらなる想いを馳せたのだった…。

神戸文化祭前夜祭 西エリア編!

10月22日はSTUDIO Y3を飛び出して新長田に初上陸。citygallery2320さんへお邪魔した。

citygallery2320さんです


民家を改造したというギャラリーに入ってみるとコンクリで固められた玄関の正面に急な階段があり、右手には真っ白い部屋が広がる。玄関で靴を脱ぐ行為は他人の家にあがるときと同じなのに。入れてもらった部屋からも元々の「部屋」の姿を感じられるのに。それでもたしかにギャラリーである、と思わされるから不思議だ。それは「作品を置いた場所がギャラリーになる」という考え方ともまた違う。生活していた場所に息づく何か、がスパイスのように効いている気がするのだ。もちろん作品側にもきっと魔法はある。

今回拝見したのは古巻和芳さんの作品群だった。言葉―特に詩や聖書の一節などを、景色に重ね合わせるように一画面に収めた作品たちは、言葉の持つ力を最大限に引き出す作品となっている。

ギャラリー内の様子
古巻さんの作品


町並みは時間の経過によって姿を変えるけれど、空や海はわたしたちが生きている間に姿を変えることはあまりない、と古巻さんは言った。誰かが昔見たかもしれない景色をわたしたちは今日も見ている。それはすなわち、空や海は時間を超えてそこにある、ということだ。誰かが昔に作って・今もそのまま残されている言葉を目の前の景色に重ねることは、それを見ているわたしたち人間自身においても「時間が経っても根に息づくものは変わらない」と語る気がした。社会や時代がますます変化の速度を増していっても、人間の在り方は昔も今もそう変わらないのなら、どんなに安心できることだろう。そう考えてからわたしは、この作品たちが民家だった場所にあることの意味を見出した。過去に誰かが居た匂いがより一層作品のメッセージを濃くするのではないか。

重ねてみるたかはしさん

今経験している何もかもが、誰かが経験したことのあるものと考えれば今よりほんのすこし他人にやさしくなれるかもしれない。ギャラリーをすべて拝見したあと、なんだか懐かしいような、何かを慈しむような気持ちになった。これなんていう名前の感情だったかしら…?

神戸文化祭で、この街に住む「誰か」を訪れに行くわたしたち。その前夜祭にふさわしい展示だったと思う。

明日11月3日から始まる神戸文化祭!みなさまも是非足を運ばれてみてはいかがでしょうか…!