今日のC.A.P. その16 超白熱!場づくりミーティング

12月25日

タニグチです。いよいよ冬ですね。寒い。タイトルがまるでクレヨンしんちゃん映画のサブタイトルみたいになってしまいました。最近久しぶりに場づくりミーティングの場に居合わせたのでこのタイトル。C.A.P.が新しい形態を模索している途中に立ち会うことができてなかなかおもしろいです(たくさん人がいたのでイヤホンしていたのですが、会話はちょいちょい耳に挟んでいました)。もっとたくさんの人と出会える場所への進化を目指しているそうで、議論は超白熱。どうなっていくか楽しみです。

美由紀さんの謎

みんなでお昼を食べていたときに聞いた話だ。

浅山さんがある晩C.A.P.のみんなにメールを送ってきたらしい。
「なんか『名字で呼ぶのは避けて頂けると…』って話だった、」とたかはしさん。

「下の名前で呼ぶ練習しなきゃ」と築山さんやシモダさんが練習している。祥子さんは「美由紀…」と言ってみて「呼び捨てはダメですね、」と自分でツッコミを入れている。

と!語り口がホラー映画の冒頭のそれのようになってしまったが、せっかくだから浅山さん―もとい美由紀さんに今度会ったらこの話を聞いてみようと思う。わたしも美由紀さんに会ったときは「美由紀さん!」と呼んでみることにしたい。海外の方の距離の詰め方みたいでちょこっと馴れないのですが、まあそれも味ということで…。

いらない服に別れを告げる。

山村さんの個展が始まっている。なんなら今日が最終日である。
実は個展を始めるにあたっての下準備に少しだけ立ち会った。パーテーションを倒して配置している大人のみなさんたちを見て「倒してどうするんや…?」と思っていたのは記憶に新しい。倒して服をのせるのでした。

山村さんとはシモダさんを介しての繋がりが長かったので、直接お話することはあまりなかった。たぶん最初は、わたしが部活でやっていたtoconomaというバンドのコピー動画を山村さんがみてくださった話をシモダさんから聞いたのだと思う。山村さんがtoconomaのリスナーだったために起こった偶然である。嬉しかった。そこから実際に会って「これが山村さん…」となるまでだいぶ長い月日を要した。そんなわけでいくらわたしがちょいちょい山村さんの作品について気になっていてもお話を聞くことはほとんどできなかったのだ。

山村さんは服を使った作品をつくっている。服になんらかの形でなんらかの内容を印字するのだ。
今回の展示は2020年、山村さんがパリに3か月間レジデンスに行った際始まったシリーズを展示している。
「いらない服に別れを」をタイトルに、さまざまな人間から集めた「いらない服」について彼らが語るエピソードを「服に収録して」いる。刺繍で話が縫い付けられているものもあれば、シルクスクリーンで印字されているものもある。目に楽しいのはもちろんなのだが、会場の片隅にはスピーカーが置かれておりそこから実際にエピソード聞き取りをしたときのインタビュー音声が流れていて、耳も刺激される空間になっていた。

作品について山村さんに直接お話を聞くことができた。
「この文字って、どれくらい時間かかるんですか?」まず刺繡を指さし聞いてみる。
「えーどうだろ、調子いいときで1時間10文字とかかな縫えるの…」
ちょうど同じタイミングで居合わせた有吉さんとだいぶ驚いてしまった。その計算だと一着に刺繍をほどこすには途方もない時間がかかっていることになる。
「シルクスクリーンのもあるから、そっちは早くできますよ、」
と山村さんは自分の部屋にあるシルクスクリーンの道具と元の型を見せてくれた。こっちは型を作ってインクを塗るだけ(だけと書いているもののそれでも時間はかかる)で、短い時間でできるそうだ。

シルクスクリーンの道具

再び展示スペースに戻ってお話を聞く。
「いらない服とか、それこそ服がいらなくなる瞬間とかは他人に見せる場面じゃないじゃないですか。それをあえてインタビューしてみて公のもの―パブリックにしてみたらどうなるかなあ、って思って」

「服をモチーフにしているのは、、、元々消費者の文化に興味があったんです。服にはファストファッションとか労働者問題とかネガティブな側面がある一方……服を着ることは生きるのに必要で自己表現でもあるっていう。『服』っていうものがたくさんのレイヤーでできてることがいいな、おもしろいなって感じですかね、」

いらない服を持ってきてくれた人に本人の持ってきた『いらない服』にまつわる8つの共通の質問をし、その答えを作品にしたと言う山村さん。質問は、①この服を何と呼びますか②お葬式をするならどうしますか…など。わたしはその質問群を見て、「もし自分が聞かれたらちょっと困るな」と思った。そんなこと考えたこともないからだ。わたしがセーターだと思っている服も、別の人が見たらちょっと違う呼び方をするのかもしれない。お葬式のときに棺に入れてほしいくらい好きな服はあるかしら。そして何より、いらない服は。どうしていらなくなるのだろうか。
インタビュイーにはパリで会った人と日本で会った人の中から、作品の趣旨を理解してくれた人を選んだ、という山村さん。できるだけ答えを「引き出さない」ように・自然な話を心がけたそうだ。実際話を聞かれている側の考え込んでいる素直な反応が文章や音声からも伝わってくる。

「インタビュー内容は服に載っているのに、音声も流すんですか」聞くと
「まあアート=視覚から受け取るものじゃないといけないのかな?っていう疑問が個人的にあるので…聴いてもいいし、触ってもいいし。触れるものが作りたかったから服をモチーフにしたとも言えるかもしれないですね、」

気づいたら有吉さんに加え美由紀さんも山村さんの展示を見に来ていた。もはや本人がアテンドしてくださる「山村祥子ツアー」と化している。ありがたい。山村さんはわたしの質問に答えつつも、自分から作品や理念について滔々と話してくれた。
「昔から消費者生活を題材にすることが多くて。それを象徴する都市の日常も取りあげるようになりました。日常の延長線から『おや?』と思う瞬間を切り抜くようにしています、」
それの代表が服だと思ったのだろう。服はわたしたちの生活と距離が近すぎて「わからない存在」にほかならない。わたしは眼前に横たわる洋服たちを見ていた。しなびてぼろぼろになっているものも少なくない。洋服たちをみていると、名前も顔も知らないだれかが毎朝袖を通していた様子とか、それを着て歩いていたパリのどこかの景色が思い浮かぶ。そこにあるのは洋服のはずなのに、まったく別の何かが立ち上がってくる気がした。他人の意識かもしれないし、洋服自身の意識のようなものかもしれない。上手く言えない何かだ。

わたしは気になったので「山村さん自身は服にこだわりみたいなものはないですか?」と聞いてみた。これだけ服と向き合う山村さんが自分の服についてどれくらいのルールを持っているのか気になる。
「こだわり、はないかもしれないです…」
「なんか服屋の従兄弟がいて、いっぱい服をお下がりでもらってたから…コスプレ(好きなスタイルにかかわらず毎日回ってくるから)みたいになっちゃってて、自分に似合う服がわかるようになったのは大きくなってからなので…」

ここで美由紀さんが「いやー、やっぱり人事の仕事とかあると明らかに服装変えたりしますから、服って大事です」と言っていた。特に日本では服にTPOをゆだねることが多いという話題で盛り上がった。

山村さんがひとつの長袖の洋服を指さした。これはエジプト人の女性のものだという。
「長袖でも周りのエジプト人…両親とかには『露出度が高い』と言われた服装で、彼女自身は少しの反抗の意味も込めて忠告を無視して着ていた品らしいです。」
その山村さんが話す様子を見ていると、人から洋服にまつわるお話を聞くことでまた山村さん自身とその服に「縁」ができて世界が広がっていくように感じた。素敵なことだと思う。

最後にけば立った嵐のTシャツの前にみんなで立ってみた。嵐のTシャツは日本に来たときにパジャマを持っていなかったインタビュイーがパジャマ代わりに買って着古したものらしい。経年変化によってもうメンバーの顔写真の部分が消えかかっている。まるで嵐の解散を表しているみたいですよね、と山村さんが言う。洋服にみるカルチャー、消費者文化、かぎりなくパーソナルなものたち、すべてが詰まっていた展示だと思った。

文章を書いていたらパソコンが落ちてしまって投稿が大晦日になってしまいました…すみません。
今年もあと半日。あっというまでした。みなさま良いお年を。そして来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。