Y3と私 #39

 

 

 

今朝も、綺麗な朝日でした。でも、この頃は日の出の時間が、ずいぶんと遅くなりました。7時ごろになって、やっと朝日が昇ってきます。もうすぐ冬至ですね。昼の時間が短くなって寂しいけれど、僕は、この時期の季節が大好きです。

 

 

今日は月曜日。Y3は休館日ですね。今日も、ずっと自宅で制作です。花の絵とか、いろいろ描きました。

 

 

 

僕のパソコンの画像ソフトの具合が、なぜか、急に悪くなりました。画像を編集しようとすると、すぐにフリーズするようになってきました。アンインストールしても治らず、初代Mac bookのフォトショップを使います。何点か、編集することが出来た画像を使って、「私と私たち」展の作品を少し紹介します。

鳴海さんの作品。ひとつひとつの小さなLEDが集まっていますね。この、ひとつひとつが「私」なのでしょうか。

鳴海さんの仕事は、とても丁寧で綺麗ですね。僕は、昔、鳴海さんにハンダ付けのやり方を教わったことがありました。

 

 

松井知恵さんの作品。上層の絵の具を削いで、下層の絵の具が見えていますね。

 

 

「私と私たち」展について。

今年の7月のミーティングで、12月と1月の展覧会について話し合ったのが、「私と私たち」展の出発でしたね。

スタッフの方から、できれば12月と1月、同じ展覧会だとDMや広報もやりやすい、という要望もあり、2ヶ月間の会期の展示にすることになりました。12月と1月で「対」になるものにしようか、という意見が出て、「天使と悪魔」「部分と全体」などいろいろな案が出ました。ダグマーさんの「Me&We」という案も人気がありましたね。でも所有格や目的格を揃えた方がいいんじゃないか、などの意見もあり、じゃあ、いっそのこと日本語の「私と私たち」では、という意見が出て、そこから、具体的に動き出したように思います。

「Me&We」という言葉には、当初、あまりピンと来なかったのですが、日本語の「私と私たち」という言葉には、何か出来そうな予感がしました。僕は、今の世界の時勢や、効率化が重視され、人と人との繋がりが希薄になってきつつある身近な暮らし。そして今のCAPの状況なども思い浮かべながら、展覧会のイメージやコンセプト、プレスリリースを作りました。展覧会に付随して、CAPゆかりの人達と交流する大忘年会、館内の人達や近隣の人達と交流する大新年会もセットで行うことにしました。今までの活動を振り返り、そして、新しい扉を開くこと。それが、「私と私たち」展の骨子でもあります。

昔のメンバーに呼びかけたり、ゆかりの人達に参加を募ったり、また、搬入や会場の準備など、皆で協力して、皆で作り上げる展覧会になったように思います。

昨今、CAPは「神戸文化祭」という活動を主催していますが、それは、ひとりひとりの個人が、それぞれ好きなように、自分のやりたい事をやって、そして知らず知らずのうちに、その点と点とが繋がっていく、という物です。これも、ひとつの「私と私たち」というものなのかも知れませんね。そして、「神戸文化祭」を機にCAPにも、いろいろな人達が集まってくるようになりました。その輪が少しずつ広がっていけばいいし、また、地域の人達も気軽に来れるような場所に育っていけばなあ、と僕は思っています。いろいろな人達が集まり、自由に、いろいろな事について話し合う場になっていただけたらなあ、と思います。

来年の1/17になれば、阪神大震災からも25年になりますね。三宮や神戸の下町や各所は壊滅状態になり、ライフラインが止まり、僕の家も半年くらいガスや水道が不通になりました。当初は食べるものにも事欠き、当たり前に電気や水が使えることが、いかに幸せななことだろうかと思いました。でも、水や食べ物があったとしても、それだけでは、人は生きてはいけない、ということも再認識しました。と、いうよりも、水や食べ物よりも先に、広い意味での「芸術」こそが人にとって必要なものなのかも知れない、とさえ思いました。

いろいろなことを見渡して、少しずつ視野が広くなって、本当に大事な事に思いを巡らせるようになれば、自ずと何かが変わっていくように思います。これから、CAPは、Y3は、どういう場所になっていくのでしょうか。

まず、ひとりひとりの人が、ほんとに、ゆったりできるような場所であり続けて欲しいですね。のんびりしたり、誰かと話したり、普通に、そういう場所であって欲しい。でも、くれぐれも、何かを作ろう、皆で作ろう、と焦らないで欲しいとも思います。

ものを作る、ということは、このぐらいで良いかな、とか、妥協しては良いものは出来ないようです。ずっと考え続けていかねばならないように思います。その、思うようにいかない過程こそが芸術なのだと思いますし、そのありのままを見せる、ということも、とても大事なことのように思います。ぜひ、ゆっくりと考えて、良い場所にしていただけたらと思っています。

ちなみに、Y3の出来事を紹介したり、僕の思うことを書いたりしている、この「Y3と私」も、実は「私と私たち」なのです。誰にも、どこにも、それぞれの「私と私たち」があるように思うのです。

上村亮太