今回、銅金さんが現在構築中の、「植物数学」と名付けられたテーマの一連の取り組みのひとつとして、銅金さんのスタジオで安田さんの凧が展示されることになりました。植物が生きる上で好ましい風と凧が空に向かう風についての関係性を考えます。スタジオで発生させている霧やら煙は植物にとって好適な風の流れです。
〈安田葉と植物数学〉
安田葉はアーティストである。
凧、kite、を世界をまたにかけて探求している。 凧に、世界の真理、生命の神秘、人間とは何か?を考えようとしている。 凧に、人類の今後の可能性、行く末さえ賭けようとしている。 だから、まさしく、ほんもののアーティストと言ってよいだろう。最大の観点は、凧とは 何か?である。 彼女は、長年、凧とは何か?に真剣に取り組んでいる。 一方、ぼくがコメントした。 凧とは何か?には、植物数学が直結している、と。 植物数学にはそれを明らかにできる可能性がある、と。 積極的に植物の特性に、凧とは何か、を見出すことができるだろう。 そしたら、安田葉はラン(植物の一種)の凧を制作した。 これが、この展示の主眼である。
彼女は東京藝術大学のぼくの講義の教え子である。 東京藝術大学の古美術研究のぼくのツアーにも参加した。 もう 20 年くらい前の話だ。 いま彼女は世界の各国からお呼びがかかり、凧を上げている。 神戸でも須磨の海岸とか六甲山で上げてもらいたいものである。
(銅金裕司)
展示:土に還る凧-植物数学への道
2024年5月23日(木)〜7月31日(水)
10:00〜19:00/月曜休館
会場:4階 スタジオ412
参加作家:安田葉[美術作家]、銅金裕司[Y3スタジオアーティスト]
なぜ、いま、植物数学か?
ぼくの場合は、アートとは何か?と植物数学は直結しています。だから、なぜ、いま、ア ートなのか?これに答える、対応しえないと意味がない、と感じます。だから、アートと 科学技術は等価な感じもあります。科学技術より、この世界とは何か?を解釈したい。そ こに、火星まで行って資源やらあらゆる機会をわがものとする的な人間中心主義やら資本 主義には辟易します。だから 30 年以上も前からずっと、植物から見た世界、にこだわって います。こうやって、やや反省的に、敬意を払って、人も結局は、地球のご飯になるしか 道はない、と決意する。とはいえ、仏像を拝む、みたいなアートもぼくには違うように思 う。偶像崇拝禁止的です。真理は形象にあるわけではない、と仏教が喝破したことに同意 したい。だから、表現はインスタレーションやら音に向かうこともあります。だったら、 アートとは何か?というのは、人間とは何か?に近似するかな、と考えます。学校では絶 対教えてくれない、だれに聞いてもはぐらかされ、答えてくれなかったこのような問いに 高校 2 年のときに取り組み、考え抜いて答えを出しました。古今東西の文学を渉猟して答 えを得ました。だから、すべての土台に文学があります。つまり人間とは宇宙の自己認 識、理性である、と。だから、文学にこそ、圧倒的な比重を置きます。文学だけが教えて くれたから。しかし、その理性が、どうにも頼りない。好き勝手で、戦争をしたり、原発 を作ったりして、加害的、台無しな感じが否めない。だったら、その理性をなんとかいま のままに保全しながら、地球のご飯になる的にならないか?地球やらほかのみんなの負担 にならないようにできないか?
と考えて、植物数学、なのです。