今日のC.A.P. その12 秋は煎り茶と茄子の季節です

10月18日

こんにちは、火曜日なのに珍しくお家なタニグチです。今日はC.A.P.に行ける!と思っていたのですが、先週言い渡された卒論の前段階研究について時間を取らねばならず、外へでることを断念…。罪滅ぼし(?)に空いた時間、お家で日記を書くことにしました。幸いなことに今はネタ帳が潤っていますので、コツコツと書こうと思います…ベランダを全開にすると秋風が気持ちいいですね……ん、秋風にしては…強くないか…?思いつつ、晩ご飯は茄子のグラタンにします。一緒に番茶を飲むと秋です。秋です(断言)

ときにアーティストは不審者に思われちゃったり

これは先週のお話。この日は上野友幸さんにお会いすることができた。
上野さんは兵庫県出身、現在はベルリン在住のアーティストさんである。オフィシャルのサイトと思われしリンクをぽんと貼っておきますポン(Tomoyuki Ueno)。ページに掲載されている作品をいくつか拝見したが、流木を用いたり波をモチーフにしたり、自然と接する作品を多く作られている印象の作家さんだった。上野さんは日本国内の某美術館の展覧会に出展する予定で、その制作のために日本に舞い戻っておられるのだとか。うおおおお一緒にお昼ごはんを食べたものの、どこから何から話せばいいかわからずキョドキョドしてしまった。頭の中で聞きたいことがスパーク…。しばらくこちらにいらっしゃると聞いたのでまたお会いできたら長くお話を聞きたい…。そんなへっぽこジャーナリストタニグチだが、マスダさんと上野さんの会話は耳をダンボにして聞いていた。だっておもしろそうな匂いがする。おふたりは野外での素材集めについて話していた。

「上野くんはどうやって材料調達してるの?枝とか」
「普通に外で拾ったりしてますね」

お昼ごはんの後なのでおふたりともあたたかいお茶の入ったマグを手にしている。いつもの風景ではあるものの、室内を満たす空気になんとなく秋を感じた。

「まあそうなるよねえ…でもさ、結構外で集めるのむずかしくない?」
「周りの目が気になるというか、『変な人』みたいに思われてたりしてそうで(笑)」
マスダさんはちょっと苦笑いしながら言った。頭の中で大人がいそいそと枝を拾い集める姿を思い浮かべてみる。
おお、、、言われてみればたしかにそうかもしれない…

「いやーそうですね、ベルリンでも気にはなりますよ(笑)」
「作業着着て右手に鉈持って木の枝とか集めてると…やっぱ不審者っぽくみえるみたいで…怖がられるというか…」

「わかる!真面目に集めれば集めるほどちょっとねえ」

なんとも深く共感しあっている。その光景に笑いそうになってしまった。アーティストをやっているからわかること―実生活編―みたいな、妙なリアルさがいい。

「最近はもう、首にタオル巻いて拾ってます。普通の路とかのほうが『いい枝』が落ちていて…ほら、街路樹とかあるじゃないですか。だからその枝を拾うんですけど、首にタオル巻いといたら『掃除の人』っぽくなれるんですよ…」
「わーなるほどね!」

…「いい枝」…?と思いつつ、これにはなるほどと思わされた。清掃員ぽくなるのいいですね。
キョロキョロしながら枝を拾う上野さん(実は不審者に思われないよう必死)を想像するとなかなか…人間味にあふれていていいな…と思いました。職業病とはまたちょっと違うけれど、こういう話は探したらもう少し見つかりそうだし、考えてみるとアーティストの生態がわかっておもしろいかもしれない。

OUTSIDE THE STUDIO Katrin編

David編を書いたのでKatrin編も書いてみむとぞ。
Katrinの作品には水彩絵の具を用いたものが多い。後ろの紙は方眼紙のこともあれば、色紙のようなもののこともある。作品によって違う台紙に、Katrinのものとわかる塗りが乗っかっている。それが素敵だと思う。
Katrinの作品もDavidと近しく、画面に描かれているモチーフが理解しにくい。わたしは今日も今日とて(10月21日)4階に上がり、作品の前に立ってみる。紙の上では絵の具が境なく色を変え、ヘビが連なるような形のユニット・滑らかさで紙面を埋め尽くしていた。水気たっぷりの絵具を含ませた筆で線を書いて、できた水の跡に絵具を足してグラデーションを作ったのだろうか。そうやって想像してみる。実際のところはわからないけれど。

Katrinの作品

何と言ってもKatrinの作品で不思議なのが、白い絵の具が這っている部分だ。満遍なく絵の具が広がっているところに電撃が走るように鋭利なタッチで白基調の絵の具がみられる。どうやって描いているのだろうと不思議になるのはもちろん、おかげで遠近があるような気もしてくる。しかし浮かずに調和しているのが不思議だ。

こちらの作品は「線で塗る」というよりは面でぬって、模様が紙面を彩る形になっている。鉛筆で下描きしたようだけれど、全部は塗られていないのがわかった。どうしてだろう。ここでどうして「塗らないのか」と考えるあたりが自分って頭硬いかも…と思うゆえんだ(笑)。でも画面下方にかけて余白が増えていくのが、なぜだか模様とくすんだ色味が相まって「植物が朽ちる様子」のように感じられた。朝顔がまばらに咲いている壁にもみえるかもしれない。いくつか作品が飾ってあるなかでこの作品が個人的にはいちばん好ましかった。つつましく、しかしそこにたしかに「ある」気持ちがした。存在を踏みしめる感じだ。

話は戻るが「ヘビが連なるようなユニットの線たち」…は時間が経つとちょっと染色体のようにみえてきて、わたしは細胞の核を思い浮かべた。そのまんま振り返ると3枚の作品が鎮座している。気のせいか細胞を描いているような気がしてきた。

一方でどこかの銀河系のようにもみえてくる。もしかして細胞は小さな宇宙なのかもしれないとか、浪漫にあふれたことをかんがえる。

河村さん、人(塑像)を焼く

河村さんといえば顔を合わせたり作品を拝見したりすることが比較的多いアーティストさんである。今日のC.A.P.河村さんの過去ガッツリ登場回はこちら: 今日のC.A.P. その8 – KOBE STUDIO Y3 (cap-kobe.com)

そんな河村さん、工作棟の前で何やら作業をしていた。わたしは普段3階の事務所で投稿を作ったり日記を書いたりしており、窓の外を見やるとちょうど工作棟前のだだっ広いコンクリート空間が見える。時たまそっちを見ても、大抵はシモダさんがタバコをぷかーとやってることがほとんどだ。

だがしかし。今日はその場所へ河村さんが等身大の人の塑像を持ってきて作業をしてらっしゃった。ちょっと気になる。築山さんにも行ってこいとけしかけられたので行くことにした。いざ。

向かうと河村さんはバーナーみたいな機械で塑像の表面を焼いていた。「焼いていた」。
この様子はC.A.P.のインスタグラムのストーリーにもアップしていたのでご覧になった方もいらっしゃるかも。この機械、バーナーみたいなと表現したが、実はバーナーではないらしい。

「どっちかというとドライヤーに近いですね。ヒートガンといって200℃くらいの熱風が出るので、それで物を焼くんですよー」
スマホを握りしめやってきたわたしの取材依頼にニコニコしながら「いいですよ~」と答えたあとで、河村さんは楽しそうに説明してくれる。ニコニコ。河村さんのヒートガンが通り過ぎると粘土でできた白い皮膚の上にこげ茶の線が走る。実際には焼く作業ではあるものの、どちらかというと彩色に近い行程に感じられた。
人間の身体は滑らかな皮膚で覆われているけれど、河村さんが長短さまざまな線を入れていくのを見ているとわたしたちの身体もまた、小さな面の連続でできているものかもしれないと思わされる。というか、滑らかに肉がつくことの・そしてそれを包むことの偉大さというか、すばらしさに気づかされた。アナログの真骨頂。デジタルがどんなに努力しても勝てない、天然のプログラムである。うーん、奥が深い…。

帰ってきたわたしに築山さんが言った。
「いやーでも何がおもしろいってさ、河村くんが元葬儀屋なのがおもしろいよねー」
あ、そういえばそうだ、河村さんは元葬儀屋さんで働いていたんだった、、、。それで元葬儀屋の河村さんが人の形の塑像を…焼いていらっしゃる………ちょっとおもしろいかもしれない…。

あまり締まりませんでした、ごめんなさい。