2月25日
こんにちは。タニグチです。今回からぼちぼちcapsuleの裏側について書いていきたいと思います。capsuleとは昨年創刊されたC.A.P.のサポーティングメンバーシップマガジン。どんな人たちがどんな風に集まり、どうやって作っているのか、何回かに分けてお伝えしていこうという所存。出版メンバーのみなさんにご協力いただいています。ありがたい!ありがとうございます!!あのメンバーたちのおすすめの本なども紹介。乞うご期待…(小声)…!!
capsule出版会議①
1月某日。この日わたしは出版ミーティングにお邪魔していた。5月を目掛けてつくる第4号の初回ミーティングである。ミーティングの席にはシモダさん、編集長河村さん、たかはしさん、有吉さんが揃っていた。藤塚さんは不在だ。
まずは第3号の反省から。すでに3回発刊されているものの、コーナーそのものの見直しや記事の字数について丁寧な検討がなされた。たかはしさんが横で第3号の誌面を見せてくださるので甘えさせてもらう。capsuleはサイズもかわいらしく、ページ数もそのサイズに見合った少なさだ。そのうえで充実した内容を実現させ、見やすい画面を追求している。号ごとのフィードバックは必要不可欠だ。主な反省点として
・テーマや文章量について
・1ページに収めるときのビジュアル性にこだわる
・画像優位性、イメージで目を引きたい
・MACHINETA(capsule内コーナー名)はボリュームの問題を考えるよりは、アートの視点から外した方がいい
などの点がすぐに挙がった。これだけの量がものの5分くらいで出てくることがすごいと純粋に思う。
全体を総括した反省点が上記だったが
「Previewのコーナーなんですけど、これでいいのかなーって部分。ありますよね」
という河村さんの発言を皮切りに、このミーティングではPreviewのコーナーについて集中的に話し合われた。「Preview」はインタビュイーの展望を扱っているコーナーである。それについて様々な点から「わかりにくい」という意見が出たのだ。
「内容自体もなんのテーマに沿っているかわかりにくいかな、って感じはちょっとするよね」
とシモダさん。
「そもそも『Preview』ってタイトル?語?でいいのかどうか…」
有吉さんも続ける。
perspectiveとかの方が近いんではないか…?という案も出た。しかし河村さんは「いったんコーナーの目的やコンセプトをはっきりさせましょう」と話す。短い間に湧き出た意見たちを根本から整理しようというわけだ。整理するとPreveiw(仮)のコーナーは
・インタビュイーが今気になっていること
・インタビュイーがこれからやりたいこと、やろうとしてること
・将来のこと
を聞くコーナー。ということになった。「展望」は「展望」でも、インタビュイー自体のキャラクターを中心にするというよりはあくまでも「こと」を先行させるというコンセプトである。
「じゃあPreveiwよりViewの方が近いかなあ」とまとまっていく。タイトル名だけでなく、タイトル下に書いていたリード文も削除し、付属させるのは副タイトルのみにして目を引く構成に変更した。より少ない文字数で、よりそのテーマでやりたいことを伝える努力である。
記事そのものの字数についても限られたスペースであるにも関わらず、減らす方向で意見が一致した。1500字から1300字への200文字マイナスだ。元が1500字なのに対して結構大きな割合でカットするなあ、と感じる。字が多いと画像を入れることができず視覚的に圧迫される、という考えからだった。画像を入れるにはある程度の字数を削らないと四角形に空白を確保できない。だから200も削るのだ。シビアなところにも躊躇なく飛び込んでいく。最初の「1ページに収めたときのビジュアル性」を優先した結果だ。部位ごとの調整もすべては全体をみたときの調整として為されるところがレイアウトのおもしろさであり、むずかしさであるなと思わされた。
第3号の反省が終わったら、第4号の取材先と担当者を決めていく。前回同じコーナーを担当した人間をひとりは繰り越しつつ、二人でひとつのコーナーを担当するようなシステムを取っている。
まだ刊行されていないので固有名詞は伏せておくが、第4号もおもしろくなりそうだ。メインディッシュのネタを決めてから、その周りのコーナーにバランス良く関連するネタを配置する。目に見えない部分のセンス・バランス業。今年のcapsuleではよりエリア・ローカルに密着した記事を書きたい思いがあるそうだ。それはコミュニティとして地に開いているC.A.P.だからできること。外野からうかがっていて、第4号はその考えを体現する号になりそうな予感がする。
過去一「エリアに寄り添っている」第4号、今後も追っていきたい…!
出版メンバーにお話を聞いてみようvol.1 藤墳さんの申すところには
出版メンバーにお話を聞いてみようのコーナー!初回は帽子がトレードマークの藤墳さん。わたしの大学の先輩にあたる。普段お話しているときのイメージは「1聞いたら100返してくれる人」だ(個人の意見です、悪しからず)。どこからそれだけの方面の膨大な知識を仕入れてくるのだろう、といつも驚かされる。そんな藤墳さんに出版メンバーとしての活動について、お話を聞いてみた(ミーティングとは別日)。
Q1. 「藤墳さんは出版メンバーの中ではどこのポジションの人ですか?、何をしていますか?」
出版メンバーの中に役割分担はあるのか。外から見ているとみんながみんな色々なことをやっているように見える。おそらくそれはまったくの間違いではない。むしろ正解に近いだろうと思う。だが、出版会議に出ているとお互いがお互いの「持ち場」みたいなものを意識しているようにみられた。実際にメンバーの中にいるとどのように感じられるのだろうか。聞いてみる。 (以下 タニグチ:タ,藤墳:藤)
タ「capsuleの編集ってこのコーナーはこの人、とか、この人にはこの作業が向いてる、みたいな考えでの役割分担みたいなのってあるんですか?」
藤「あんまないですよ」
「お互いに持ってるアイデアを出してコーナーに割り振るんですけど。その元の提案者がそのままコーナーを担当するケースってのが多いですね」
ふんふんなるほど。
タ「藤墳さんは既刊の号では何をされてきたんでしょう?」
藤「僕はバラバラでいろいろですね。作家紹介をやった後はちょっとサボって、3号はArt Venuesの編集作業とMACHINETAの取材・執筆を担当しました。」
藤「この人にはここが向いてる!みたいなのは無いとは思うんですけど、『これを良く知っている』って理由で担当になることはありますよ。
編集メンバーだと、河村さんが割と美術館とかギャラリーに顔がきくしそういう場所と交流もあるし。編集長ってこともあって河村さんがArt VenuesとかArt In My Lifeでは取材に行くことが多いと思いますね、
有吉さんはお店とか特定の場所とか、ローカルなところとの交流があって、実態とか活動自体を深く知ってるんで、そういう内容をよく担当されてます。足で稼いで動いてらっしゃるのでアートシーンレベルでの交流があるというか。」
タ「しっかりお互いの持ち場が離れている感じがしますね…」
そうそう。こういうの聞きたかったんだと思いながらメモを取る。
藤「田岡さんはあちこちで作品を描いたりしてらっしゃるので『おもしろいこと』を知ってます」
タ「じゃあ藤墳さんご自身は『どんなポジション』で『何屋さん』なんですか?」
藤「えー」
「僕は、、、ただ酒飲んで遊んでるだけ、?(笑)」
タ「そんなことないでしょ!」
思わず食い気味に突っ込んでしまった。たとえそれがまるっきり本当だとして、藤墳さんを説明する肩書がそれならどえらいことになる。酒飲んで遊ぶことでしか知ることのできない話ってある。
藤「僕はここらへんで何かをやってて・広く浅くを知ってる、噂を探る人…みたいな。感じかな…。」
「有吉さんや田岡さんはめちゃくちゃ参加者なんですよ。先陣を切る人たち。
僕はその後ろで石投げる人。耕作はするけど足軽なんです。」
最後の、耕作はするけど足軽なんです、のひとことにわたしの思う藤墳さんらしさみたいなものが詰まっている気がした。個人的に藤墳さんについておもしろいなーと思うことのひとつに「自分」というもの(もしくはそれに関連するさまざまな考え)が表に顔を出しすぎないようすごく気をつけている、ということがある。もちろん出す時は存分に出しているけれど。彼は、自分の考えていることに自分が持っていかれないように気をつけている感じがするのだ。普通の人が乗っかっているバナナボートとは違って、藤墳さんの掴まっているバナナボートは藤墳さんの思想なのだきっと…。そう思わされることが多々ある。そして藤墳さんはそいつに大きな首輪を嵌めている…嵌めようとしている。それを感じ取れるような気がするから、藤墳さんはやさしい人なのだと思う。言い方が悪いかもしれないのだがわたしに話しているときは手加減してくれているような…。だからギア入ってるときの藤墳さんを見るとちょっと楽しいしうれしい。ちょっと負けん気が出てきてしまう。どうやっても完敗?するけど(笑)(何とも戦っていないのにこの表現がしっくりくる)。その「ギア入ってる藤墳さん」のおかげでそれこそいろんなところから色んな情報を集めてこれるのではないかなーとみていて思うのだ。でもやっぱり藤墳さんは自分のことを「足軽だ」と言う。その「らしさ」である。
Q.2 「藤墳さんの思う『おもしろいこと』ってなんですか?」
「おもしろいこと」のワードはさっきも出てきた。C.A.P.の人たちに共通していること。それは「自分のおもしろいことを追求する姿勢」である。出版メンバーのみなさんも例によらず、本人たちが今タイムリーに「おもしろい」と思っている場所・人のところに出かけ情報を仕入れ、出版活動に還元しているのだ。それを紐解こうという気持ちからの質問である。こんなめちゃくちゃにひろーい質問に対し、藤墳さんは「10年前くらいだったらパッと答えられたのかもしれないなー」と言いつつ回答してくれた。
藤「ひとことで言えば、何かしらの『エッジ』があること。かな。端じゃなくて抜き身の塊、っていうか鋭さみたいな。」
話しながらなんか納得できないのか腕を組んで唸っている。饒舌な藤墳さんには珍しく、ちょっと間を空けてから聞いてきた。
藤「タニグチさんは野球わかりますか?」
タ「や、あんまわかんないです…」
いきなり野球選手の話…?やあやあちょっと弱くて申し訳ない…と思いつつ、気合を入れて聞く。たぶん顔に「?」マークが色濃く浮かんでいたと思うが目を瞑ってくれた。
藤「広島にね、昔『大野豊』っていう投手がいたんですよ」
「独特なフォームで、島根の銀行チームから引き抜かれた選手でね」
知らなかったのであとで調べた。大野豊。高校時代からスカウトに注目されるような投手であったものの、母子家庭の母を支えるため就職。出雲市信用組合の軟式野球チームで野球を続ける。社会人になってから入団テストを受け、しかも軟式出身でドラフト外入団を果たした、という異色の経歴の持ち主だった。特徴は下半身に重心を置くフォームから繰り出される変化球。入団した後、江夏豊に預けられている間に習得したものだったそうだ。
藤「大野を育てた江夏は大野について『最初はもちろんてんで駄目だったけど、十球投げさせたときに一球か二球、光るものがあった』って言ったんです」
その一球とか二球があるかどうか、がおもしろさなんじゃないかな、と。藤墳さんは言った。
藤「それのおもしろさが100球になればいいなーって思うし。で、自分たちがその人たち(取材先の人たち)について書くことでまたそれが『いい球』になったり。『いい試合』にする準備をする・できる、といいのかな、と思いますよ。」
Q.3 「文章を書くときに気をつけていることはありますか?」
わたしが一番気になっていたことだった。藤塚さんはちょっと考えてから、こう言った。
「わかりやすいことはわかりやすく書きます。でも、むずかしいことは変にわかりやすくしないように心掛けています。…たとえばですけど。カオスな話を整理整頓して書いてしまったら『おもんなくなるかもしれない』んですよ。抽象的なところを具体的にしすぎてもおもんなくなるし。だからカオスはカオスのままで出してみる。」
藤「まあ、書くときはわかりやすいことに固執しない。したくないし。って…感じですね」
たぶんわたしは藤塚さんの言っていることを掴めたと思う。つかめたと思うから、それこそ藤塚さんの言っていることをあんまりうまく文章にしたくねえなーと思ってしまった。文章っていうのはドクドク動脈が通ってるところと薄っすら静脈が通っているところがあるとわたしは考えている。動脈をガチガチに張り巡らしてしまうと「おもんなくなる」。気がする。人のセリフの中にわかりにくい単語があっても、敢えてそのまま打ち出してしまうのはきっとわたしも似たようなことを意識しているからだと思う。なんてことをこうやって静脈を使ってふわっと書いてみる。つまるところは「文章」のことを「名詞の羅列で作った具体的な内容を指す媒体」と捉えるか、「概念の羅列で作ったひとつのイメージを指す媒体」と捉えるか。それによって考え方が変わるのではないか。
藤「ひょっとしたら自分に酔ってるのかもしれないですね」
「おがちゃん(神戸大の小笠原教授、わたしも授業を受けていた)の言うところの『カオス的抽象』から逃げない。みたいな。俺もよくわかんないんですけど(笑)。」
藤墳さんは苦笑いしながら話していたけれど、たぶんわかんないのが正解ですよ。たぶん。
Q.4 「藤塚さんのおすすめの本を教えてください! (3冊まで)」
「えーなんか押しつけがましいなーーー」と悩みながらも教えてもらった3冊がこちら
①ブラックアトランティック
②マルクスのために:読んでてたのしかった
③ブラックマシンミュージック:テクノ音楽の歴史
なんか藤塚さんの知識の源がわかったような気がしなくもない。興味の赴くままに文章のかたちで知識をむさぼっていたらこうなるのかもしれない。
というわけで今回はここまで。別の話題を挟みつつ、また出版メンバーのみなさんにお話を聞いていく。